自作の真空管アンプで音楽を楽しむ、亀戸の住宅街に佇む音楽喫茶
東京・亀戸の住宅街に佇む喫茶店『クレシェンド』。扉を開けると、店主が自作した真空管アンプとスピーカーが所狭しと並ぶ、オーディオ愛に満ちた圧巻の空間が広がります。オールディーズや昭和ポップスがやわらかく響く店内は、かつてダンスホールだった場所の面影を残しています。ただBGMとして音楽を流すのではなく、じっくり“音を聴く”ための時間を過ごせます。
音楽喫茶『クレシェンド』は、音にこだわりのある店主・金森静夫さんが自作した真空管アンプとスピーカーで音楽を聴けるという、唯一無二の空間。
音楽喫茶とは、音楽をBGMとして流すだけでなく、一杯の珈琲とともにじっくり鑑賞できる店のことで、日本ならではの喫茶店文化のひとつ。『クレシェンド』は、そんな喫茶店文化を亀戸の住宅街で体験できる一軒です。
『クレシェンド』が佇む場所には、かつて金森さんのご両親が営んでいたダンスホールがありました。現在の喫茶店になってからも、フロアの配置は当時のままで、23席の落ち着いた店内には、どこか懐かしくゆったりとした空気が流れています。
「この広い部屋で音楽を聴きたい」。そんな思いから生まれた店内には、金森さんが手掛けた真空管アンプとスピーカーが堂々と鎮座しています。コーヒーを片手に、店主のオーディオ愛が詰まった音にじっくり耳を傾ける、そんな時間を過ごすことができます。
店の一角を埋め尽くす、自作スピーカーとアンプの数々は圧巻。
天井はダンスホールの面影を残しており、丸いデザインが印象的。
自作アンプとスピーカーに囲まれた店主・金森さん。音へのこだわりが店内の隅々に表れている。
金森さんのこだわりは、何と言っても「真空管アンプ」への愛です。かつて火災によって宝物のレコード500枚を失う悲劇に見舞われながらも、より良い音を求めて、これまでに約30台のアンプを自作してきました。
そんな金森さんと音楽の出会いは中学3年生の時。深夜ラジオから流れてきたダニエル・ビダルの「ピノキオ」に恋に落ちたことが始まりでした。当時はまだレコードプレーヤーすら持っていませんでしたが、どうしても聴きたくてレコードを先に購入。それを再生するために、学校の「技術家庭」の教科書の巻末にあったラジオ回路図を頼りに、独学でアンプを自作してしまったのです。インターネットなどない時代、それは純粋な情熱が成せる業でした。
1970〜1980年代のオーディオブームの際に秋葉原で買い込んだ真空管や部品は、今も「あと20台は作れる」ほど手元に眠っています。「彼らを形にしてあげたい」という使命感から、現在も1年に1台ほどのペースで丁寧に製作を続けています。
スピーカーとアンプに四方を囲まれた席は、人気の特等席だとか。
提供されるメニューや器にも、『クレシェンド』ならではのこだわりが光ります。看板であるコーヒーには、千歳船橋の名店『堀口珈琲』の豆を贅沢に使用。「珈琲は生鮮食品だから新しくないと」という同店の哲学に共感し、ひとつ穴ドリッパーを用いた独自のハンドドリップで丁寧に淹れられます。ラインナップは、深煎りの「フレンチ」や「シティ」、そしてアイスコーヒー並みの濃さをホットで味わう「ヘヴィー」など、好みに合わせて選べます。コーヒーを彩る器の多くは、日本を代表する陶器メーカー「ノリタケ」のカップ&ソーサーです。
また、店で評判のカレーは奥様の手作り。プロの画一的な味ではなく、「作るたびに少しずつ味が違う」という、家庭的でやさしい味わいが多くのファンの心を掴んでいます。
さらにユニークなのが、「ケーキやお茶菓子は持ち込み自由」という懐の深いルールです。お気に入りのスイーツを持参して、金森さんの淹れるコーヒーや奥様のカレーとともに、思い思いの時間を過ごすことができます。
奥様手作りのカレー(750円)は平日は5食、休日は10食ほどの限定なので、出会えたらラッキー!
『クレシェンド』では、かつてはオールディーズを中心に流していましたが、2019年に店がドラマの撮影に使用されたことで転機が訪れます。ロケ地巡りで若い客層が増えたことを、金森さんは「人が増えるのは良いことだ」と快く歓迎。若者たちの喜ぶ顔を見るために、最近では昭和ポップスも積極的に流すようになり、ときにはリクエストに応えることもあります。真空管アンプが奏でるやわらかな音色に乗って、世代を超えた名曲が店内に響き渡っています。
また、「この店は奥さんのおかげで続けてこられたようなもの」と、最愛のパートナーへの感謝を口にする金森さん。最近増えている海外からの観光客にも、「少しでも喜んでもらえるように」と積極的なコミュニケーションで歓迎しています。
「やる気がなくなるまではやるよ」と笑顔で語る金森さん。こだわりと愛情が詰まった『クレシェンド』へ、極上の音と珈琲を味わいに、ぜひ足を運んでみませんか?
住宅街に馴染む落ち着いた外観からは想像できないほど、店内には自作アンプとスピーカーが並ぶ音楽空間が広がっている。
東京喫茶店研究所二代目所長。「昭和」の影響を色濃く残すものたちに夢中になり、当時の文化遺産でもある純喫茶の空間を、日替わりの自分の部屋として楽しむようになる。時間の隙間を見つけては日々訪ね歩いたお店の情報を発信。純喫茶にまつわる書籍は15冊。 最新著書は『純喫茶ランチ』(河出書房新社)。
この記事の内容は2026年07月23日(公開時)の情報です




