世界に知られる浮世絵師・葛飾北斎を学べる美術館
日本のみならず、海外でも広く愛される浮世絵師、葛飾北斎。その大胆な構図と描写は、モネやゴッホをはじめとするヨーロッパの画家たちにも強いインパクトを与え、ジャポニズムブーム、そして印象派が誕生するきっかけにもなりました。「すみだ北斎美術館」は、そんな北斎の画業や人生を振り返りながら、見る、知る、学べる美術館です。
浮世絵とは、もともと「浮世(当世風)の絵」という意味で、その時代の文化や日常を描いた絵のことを指します。浮世絵は誕生したころは肉筆(手書き)の作品のみでしたが、やがて、「錦絵」と呼ばれる技法によって大きく発展していきます。
錦絵は、多くの人が浮世絵と聞いてイメージするであろう、色鮮やかな多色摺りの木版画です。激しく動く波と、遠くで泰然とする富士山、波にあらがいながら船を漕ぐ人たちの瞬間を捉えた「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」は浮世絵、そして錦絵の代表格。
この浮世絵を手掛けた絵師、葛飾北斎は1999年にアメリカの雑誌『ライフ』が選んだ「この1000年で最も偉大な業績を残した世界の100人」に唯一の日本人として選出されています。
世界でもっとも有名な日本美術の作品の一つ。手前の荒々しい波と奥の小さな富士山という大胆な対比が特長。葛飾北斎「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」 天保2(1831)年頃 実物大高精細レプリカ
葛飾北斎は江戸時代後期、宝暦10(1760)年生まれ。平均寿命32〜44歳といわれた江戸時代に90歳(年齢は以下、すべて数え年)まで生き、数多くの作品を手掛けた浮世絵師です。生涯に90回以上引っ越しを行い、画号(ペンネーム)も30回以上変更するなど、ちょっと風変わりな人物であったとか。晩年は「画狂老人卍(まんじ)」を名乗り、90歳を過ぎても「あと5年あれば真の画工になれるのになあ」と嘆いていたそうです。
「すみだ北斎美術館」は、そんな葛飾北斎が生涯のほとんどを過ごした東京都墨田区にある美術館。長寿を全うした北斎の画業、そして人生を振り返ることができる展示のほか、北斎や弟子たちの作品を展示する企画展などを鑑賞することができます。
葛飾北斎は江戸時代後期、宝暦10(1760)年生まれ。平均寿命32〜44歳といわれた江戸時代に90歳(年齢は以下、すべて数え年)まで生き、数多くの作品を手掛けた浮世絵師です。生涯に90回以上引っ越しを行い、画号(ペンネーム)も30回以上変更するなど、ちょっと風変わりな人物であったとか。晩年は「画狂老人卍(まんじ)」を名乗り、90歳を過ぎても「あと5年あれば真の画工になれるのになあ」と嘆いていたそうです。
「すみだ北斎美術館」は、そんな葛飾北斎が生涯のほとんどを過ごした東京都墨田区にある美術館。長寿を全うした北斎の画業、そして人生を振り返ることができる展示のほか、北斎や弟子たちの作品を展示する企画展などを鑑賞することができます。
「すみだ北斎美術館」には、さまざまな切り口の企画展が行われる「企画展示室」と、「北斎を学ぶ部屋」、「常設展プラス」の3つの空間があります(特別展開催時は、常設展プラスの部屋も企画展示室となります)。毎回展示作品が変わる企画展は、北斎や北斎の弟子たちの作品を見られる空間。
壁面に実物大高精細レプリカ(複製画)を、中央にタッチパネル式展示を配置した「北斎を学ぶ部屋」。
「北斎を学ぶ部屋」は、北斎の画業や人生についてわかりやすく紐解いていく7つのエリアで構成されています。順路に沿って見ていくと、北斎の人生だけでなく、画風の変遷や、彼の探究心、あふれるアイデアなどにふれることができます。北斎のオリジナル作品は光に弱いため展示期間が限られています。そのため、「北斎を学ぶ部屋」では、より多くの人々に北斎の作品を楽しんでもらうため、実物大高精細レプリカ(複製画)を展示しています。
まず見る作品は、すみだと北斎の関係を象徴する「須佐之男命厄神退治之図(すさのおのみことやくじんたいじのず)」。
葛飾北斎「須佐之男命厄神退治之図」(推定復元図) 制作:TOPPAN株式会社
北斎が86歳のときに描き、弘化2(1845)年に牛嶋神社に奉納した扁額(鳥居など高い位置に掲出される額や看板のこと)です。オリジナルは残念なことに大正12(1923)年の関東大震災で焼失してしまいましたが、明治時代のモノクロ写真をもとにして最新の技術を使ってカラーで復元されました。
「習作の時代」は、北斎19歳から35歳(1778~1794年)ごろの足跡を紹介するエリア。
伝承によれば、北斎は6歳のころより暇さえあれば絵を描く子どもだったそう。14〜15歳頃に彫師の工房に入門し、将来を嘱望されていたようですが、19歳のときには彫師を辞し、人気浮世絵師、勝川春章に入門することとなりました。そして翌年「勝川春朗」の名前でデビュー、美人画や役者絵、黄表紙(大人向けの読み物)の挿絵などを中心に描いていきます。このエリアには、春朗時代の錦絵作品「忠臣蔵討入」が展示されています。この作品は、忠臣蔵の討ち入りシーンを描いたもの。
屋根の上に逃げたり、たらいをかぶって逃げる男も登場。迫力ある構図のなかにユーモラスな雰囲気も。葛飾北斎「忠臣蔵討入」 天明年間(1781〜89) 実物大高精細レプリカ
北斎は勝川派を離脱した北斎は「俵屋宗理」と名前をあらためて、狂歌絵本や摺物に活動の軸を移していきます。この時期の北斎は瓜実顔で富士額の美人画に取り組み、人気に火がつきます。「宗理様式の時代」エリアでは、北斎が得意とした瓜実顔の美人画を見ることができます。しかし、北斎はわずか3年で「宗理」の名前をあっさりと弟子に譲り、「北斎辰政」と名乗るようになります。北斎という名は彼が「天地の動かぬ守護聖」として深く信仰していた、北斗七星の化身とされている「北辰妙見菩薩」にちなんだものです。
「宗理」を名乗っていた頃の作品。瓜実顔の美人画は非常に人気を博した。葛飾北斎 「巳待」 寛政9(1797)年 ピーター・モースコレクション 実物大高精細レプリカ
続く「読本挿絵の時代」、「絵手本の時代」では、北斎の活動の幅がさらに広がっていきます。北斎は寛政の改革の影響で生まれた読本へと、制作の軸足を移していきますが、高い構成力と描写力を持つ北斎の挿絵は読者の支持を集めました。それゆえに、北斎のもとに志願者が殺到します。
江戸にあった歌舞伎劇場、中村座の顔見世興行に集まる人々を描いた一枚。人々の楽しそうな表情がかわいらしい。葛飾北斎「新板浮絵三芝居顔見世大之図」 文化(1804-18)中期頃 ピーター・モース コレクション 区指定有形文化財(絵画) 実物大高精細レプリカ
やがて、志願者をさばききれなくなった北斎は、『北斎漫画』などの絵手本(絵を描くための入門書)を出版したりなど、精力的に活躍します。絵手本は絵を学ぶ教材としてだけでなく、工芸品の図案集としても広く使われました。北斎は画家であると同時に、優れたデザイナーとしても活躍していたのです。「絵手本の時代」のエリアはタッチパネルを使って、遊びながら絵手本を学べるしかけも施されています。
『一筆画譜』をお手本に一筆書きを楽しんだり、北斎がデザインした模様で着物をデザインできるなど、さまざまなコンテンツで遊べるタッチパネル「北斎絵手本大図鑑」。
続いて順路は「錦絵の時代」へ。江戸の人気絵師となった北斎は、還暦を過ぎた頃から摺物を再び制作するようになります。鮮やかな青色の顔料「ベロ藍(プルシアンブルー)」が海外から輸入されるようになると、北斎はこのベロ藍をいち早く名所絵(風景画)のシリーズに導入。深みのある藍色を駆使し、より一層表現のバリエーションを拡大させていきます。世界的に知られる名作「冨嶽三十六景」や「諸国瀧廻り」など、他の追随を許さない錦絵を次々を世に出していきます。
当時、日本に入ってきた新しい顔料、ベロ藍(プルシアンブルー)を効果的に使用した名作。 葛飾北斎「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」 天保2(1831)年頃 実物大高精細レプリカ
富士山の麓に稲妻が光る一瞬をとらえた作品。ジグザグした稲妻は、美術館のロゴマークにもあしらわれている。葛飾北斎「冨嶽三十六景 山下白雨」 天保2(1831)年頃 実物大高精細レプリカ
「諸国瀧廻り」は日本各地の滝を題材にした風景版画のシリーズ。生き物のようにうねる水の描写が北斎らしい。「冨嶽三十六景」とほぼ同じ頃に出版された。「諸国瀧廻り 下野黒髪山きりふりの滝」 天保4(1833)年頃 実物大高精細レプリカ
また、錦絵がどのように刷られているかについて、手順を追って解説するコーナーもあります。絵師が描いた下絵を忠実に版木に彫る彫師、何枚もの版木をずれることなく刷る摺師がいてこそ、北斎の錦絵は成り立っていることがわかります。
ちなみに、錦絵は原則として一色につき一枚の版木が必要ですが、版木を節約するため、離れた箇所で複数色を刷ったり、版木を裏表両面とも使うこともあったそうです。
もはや誰もが知る大御所となった北斎であったものの、執着しない性格だったため、常に貧乏長屋ぐらしだったという。晩年の北斎は、錦絵から離れ肉筆画の制作にシフトし、90歳で亡くなるまで精力的に絵を描き続けていました。
「肉筆画の時代」エリアでは、「朱描鍾馗図(しゅがきしょうきず)」が展示されています。北斎が87歳のときに描いた、中国に伝わる神様・鍾馗(しょうき)をモチーフにしたもの。流行病の疱瘡が広まらないようにと願いをこめて。魔除けの色である朱色で描かれています。
葛飾北斎「朱描鍾馗図」 弘化3(1846)年 実物大高精細レプリカ
なお、展示室には資料などをもとにした「北斎のアトリエ」も再現。六畳の狭いアトリエのなかに、布団をかぶって絵を描く北斎が印象的です。
椅子やテーブルなど西洋の文化がなかったころは、このような四つん這いのスタイルがデフォルトのスタイルだったようです。北斎の横にいる女性は、娘の阿栄(おえい)。彼女もまた優れた絵師として活躍したことで知られています。なお、この北斎は時々動いて鑑賞者をびっくりさせます。
「すみだ北斎美術館」は建築好きの人も訪れる美術館として知られています。この建物を設計したのは日本を代表する建築家、妹島和世氏。妹島氏は同じく建築家の西沢立衛氏と建築家ユニットSANAAを主宰。これまでに金沢21世紀美術館などを手掛け、両名は2010年に建築のノーベル賞と呼ばれるブリツカー賞を受賞しています。
薄い鏡面仕上げのアルミパネルで覆われた外観は、大きなスリットが入っています。このスリットをいれて、見た目を分割することで、周辺の建物との調和が図られています。また、建物に建物や空の色が映り込み、周辺の風景にも溶け込んでいます。個性は強いけれども、主張をしすぎない建物です。
天気のいい日は外壁が青く染まります。 撮影:尾鷲陽介
そして、ミュージアムショップは浮世絵や北斎にまつわる書籍、グッズが充実。浮世絵や北斎に関する書籍は、洋書も取り揃えています。所蔵品をモチーフにしたオリジナルグッズはお土産に最適。2026年4月よりミュージアムショップはリニューアルオープン予定。さらに新しい商品と出会えるかもしれません。
世界的に人気の葛飾北斎について、通年でその世界を楽しめる美術館はじつはとても貴重です。精力的に活動した北斎の作品を、ぜひこの美術館で鑑賞しましょう。
この記事の内容は2026年04月01日(公開時)の情報です











