日本には「喫茶店」という文化があります。人々が賑やかに集う場所ではなく、静かにコーヒーを楽しむ場所として生まれました。「喫茶店」は今でも愛され続けており、どこか懐かしいインテリアや一杯一杯丁寧に淹れるコーヒーに、日本らしいこだわりとおもてなしを感じることができます。とくに「銀座」には、ちょっと“特別な”気分になるお店があります。その魅力を東京喫茶店研究所二代目所長・難波里奈さんがご案内。
創業100年を超える百貨店、高級なブランドショップ、三ツ星レストランなど、目や舌の肥えた人たちが多く集まる街、銀座。いつも最先端であり続けるこの街からは、いろいろなものが生まれ、流行り、発展してきたのでしょう。しかし、表通りだけではなく一本奥まった小道を歩いてみると、実にいろいろな人たちがいることに気が付きます。カメラをぶら下げた観光客のほか、長らくこの街で生活しているであろう普段着の人たち、手慣れた様子で買い物を楽しむおしゃれをしたご婦人たち、この街を支えている働く人たち……。決して着飾った街であるだけではなく、生活の要素も携えているユニークな一面が見えてくると愛おしさも増すのです。買い物や用事、仕事の合間にする喫茶店でのちょっとひとやすみ。そこに感じられる銀座ならではの楽しみ方を紹介します。
現存する最古の喫茶店は、1910年の創業から110年の時を経た銀座の『カフェ―パウリスタ』と言われています。そこから26年後の1936年にできた『トリコロール本店』は、ヨーロッパの街角を思わせるレンガ造りの外観が目を惹きます。なかでも特徴的なのは、入口です。重たい扉をぐっと押してひとりずつ入店する回転式で、あまり見かけることのない珍しいもの。戦後に一度建て直し、1982年に改装されて現在の形となったそう。
珈琲を淹れる様子を目の前で楽しめるカウンター席もある1階、ふかふかとした絨毯が敷かれ、天窓から光が射し込むアンティーク家具に囲まれた2階とその日の気分で選べるのも嬉しい(2階は11:30からオープン)。
最近では、高い位置から注がれるアイス カフェ・オ・レや店内で焼き上げるアップルパイを求めてやってくる若い人たちや、出かける前のモーニングとして立ち寄る海外観光客の姿も増えましたが、2階で洋食を提供していた時代から通っているという常連客も多いところが、長らく愛されている証拠です。こちらでは「美味しいコーヒーを味わって、ほかにはないこの空間を楽しんでほしい」そうです。
また、有楽町駅のほど近くにある『ローヤル』もたくさんの見どころがあるお店です。1965年に交通会館の設立と同時期に創業、ビル内にパスポートセンターがあることから、長らく、パスポートの発行を待つ人たちや都庁関係の人が多く訪れてきました。地下にありながら周囲を明るくする入口近くの天井にあるきらびやかな照明、店名をイメージする王冠が記されたロゴマーク、いったん足を止めて見入ってしまうサンプルケース、そして店内では、フランク・ロイド・ライトがデザインしたものを模倣したと思われる大きなステンドグラスが出迎えてくれます。
また、席を区切る小さな穴がいくつも開いているパーテーションポールは、かつては電球を入れて周りを照らしていたそう。100席ほどあるため、どの時間帯でも比較的入りやすく、平均2時間ほど滞在していくという落ち着きのある空間は、ゆっくり過ごしたいときにもおすすめです。こちらで勤め始めて27年のベテランスタッフ、チーフの野山さんは「人間と人間同士の付き合い方ができるのが喫茶店の良いところ」と言います。機械でもじゅうぶん美味しいコーヒーが淹れられるようになった現代に、喫茶店という場所に行く文化を遺していきたい、と日々奮闘しています。ひとりでも入りやすいように、挨拶やちょっとした会話を大切にされていて、「これからもこのエリアの喫茶店のトップ的存在でいたい」と教えてくれました。
以前は晴海通りにありましたが、その時の店舗にあったインテリアをすべて持ち出し、雰囲気を変えずに2010年に現在の歌舞伎座の近くに移転。ナポリタンやハヤシライスも人気ですが、あるアナウンサーが「飲めるオムライス!」と称したメニューが大人気となり、今では行列の途切れることのない『喫茶you』。一日に使用する卵の数はなんと300個ほど。注文を受けてからひとつひとつ丁寧に作られますが、熟練したスタッフだとなんと一皿あたり30秒ほどでできるそう。まかないなどで練習し、お客様に出せるようになるまでには2年くらいかかるそうです。オムライスをつくる担当スタッフは全員「マイフライパン」を育てていて、それとお店のガスバーナーの火力がないと再現はできないというのもここだけでしか食べられない味という納得の理由。
思わずふるふると揺らしたくなるその芸術的なルックスを動画におさめる人たちも少なくありませんが、口の中でふわっと消えてしまう幻のような食感に手が止まらず、あっという間にお皿は空に。
特別感のあるサービスも銀座という街ならではかもしれません。たとえば、誰かへの贈り物にも最適で、百貨店での売り場に馴染みがある洋菓子の『銀座ウエスト』。本店である銀座のほかに、青山、横浜には喫茶室があり、クラシカルな店内で甘いものやサンドイッチなどの軽食を楽しむことができます。銀座本店限定のフレンチトーストは木村屋のパンを使用するなど、地域の繋がりも大切にしているところも素敵です。
なかでも特徴的なのは、その日提供される約20種類のケーキを乗せた木製のプレートから目の前で選べるサービス。定番メニューのほか、その季節ごとに一番美味しい材料を選んだこだわりのメニューがずらりと並び、どれにしようか迷ってしまうのも楽しいひととき。
そして、ジュースを除くコーヒーや紅茶などの飲み物がお代わり自由であることにも驚きます。ここにいる間は肩書きや日常を忘れてのんびりと過ごしてほしい、そんな願いが込められているのではないでしょうか。
喫茶店といえば、かつてはほとんどのお店で喫煙ができ、コーヒーとの関係も密でした。ところが、東京では2020年の法改正によって、多くの喫茶店も全面禁煙となりました。苦手な人には朗報である一方、昭和の時代から煙草を吸うために毎日のように通ってお店を支えていた喫煙者の方たちは肩身の狭い思いをしているのではないでしょうか?そんななか、1972年の創業から、喫煙できるお店として愛されているのが『銀座 和蘭豆』。交差点の角にあり、大きな窓からは銀座の街を行き交う人たちを眺めることができます。
その日の温度や湿度を考慮した自家焙煎の豆にこだわり、甘酸っぱさの中に深みとコクを感じるアイスコーヒーが看板メニューです。要望がなければ、生クリームを浮かべてオリジナルのシュガーシロップを加えた状態で提供するのが和蘭豆スタイル。店内の壁には、アイリッシュコーヒー(アイルランド)、ダッチコーヒー(オランダ)などアレンジコーヒーのメニューもあり、コーヒーを通じて世界旅行ができる楽しさも。
銀座という街のなかにも、さまざまな喫茶店があって、それぞれが個性的です。買い物や用事の合間にはもちろん、または喫茶店を巡るためだけにこの街を訪れて、お店の方たちとお話をすることで、ますます銀座を好きになってしまうのです。
東京喫茶店研究所二代目所長。「昭和」の影響を色濃く残すものたちに夢中になり、当時の文化遺産でもある純喫茶の空間を、日替わりの自分の部屋として楽しむようになる。時間の隙間を見つけては日々訪ね歩いたお店の情報を発信。純喫茶にまつわる書籍は13冊。
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