銀座の老舗が「一代一菓」の精神で作る、時代に寄り添う和菓子
明治40年、銀座7丁目で創業した和菓子店『清月堂本店』。代ごとに新たな和菓子を作る「一代一菓」という心得のもと、時代に寄り添う味を追求しています。代表銘菓「おとし文」は、黄身餡をこし餡で包んだ、繊細な味わいが魅力の黄身しぐれ菓子。そしてハートの中で握手を交わしたデザインの「あいさつ最中」は、人と人をつなぐ想いを込めた現代にぴったりの新しい和菓子です。
銀座の和菓子店『清月堂本店』は、1907年(明治40年)、鹿児島出身の初代店主が手に職を求め、かつて日本橋小網町にあった和菓子店『みはし堂』で修業した後、現在本店のある銀座7丁目で創業しました。当時の銀座は料亭街だったため、料亭の女将さんにお店を広めてもらうなど、地域の助け合いのエピソードも残っているのだとか。
『清月堂本店』は初代から現在まで、一代一菓(いちだいいっか)の心得で和菓子づくりを続けています。一代一菓とは、代ごとに新たな和菓子を生むという教えです。時代ごとに、生活様式とともに和菓子の楽しみ方もガラリと変わるなか、その時代にあったコンセプトや味わいを考えた和菓子づくりを心がけています。
『清月堂本店』で長年愛されている銘菓が、コロンとしたフォルムがかわいらしい「おとし文」です。一代一菓の心得のもと、3代目が昭和50年代に考案しました。一般的な黄身しぐれ菓子は黄身餡でこし餡を包むところ、「おとし文」はこし餡で黄身餡を包むことにより、黄身餡を主役にしています。
「おとし文」という名前は、平安時代の恋文「落とし文」が由来です。身分の違う武家に恋をした女性が、自身の想いを文にしたため足元にそっと丸めて落とした淡い恋心を、ほろほろとした優しい口溶けで表現しています。飛行機や鉄道などの交通網が発達し、人々の移動が多くなった昭和時代に「東京ならではのお土産」として注目され、店を象徴する代表銘菓となりました。
そして今、『清月堂本店』で「おとし文」に次ぐ新たな銘菓として注目されているのが、4代目が考案した「あいさつ最中」です。「おとし文」までの和菓子は、茶道の“相手の気持ちを汲み取る”という精神に基づき、あえてストーリーを内に秘めていました。しかし、和菓子を食べることへのハードルが高まっている現代では、見た目やテーマのわかりやすさが重要だと考えた4代目。社員と何度も意見を交わしながら、感謝や挨拶といった“人と人をつなぐ”という和菓子本来の役割を明確にしたコンセプトが誕生しました。
「あいさつ最中」というネーミングや、ハートの中で手と手をつなぐデザインなど贈る人の気持ちが一目で伝わるよう工夫したことで、春先や年始など季節の節目に親しまれる和菓子となっています。
時代に合わせた新しい和菓子を作りながらも、『清月堂本店』では季節感や素材の持ち味を大切にした素朴な和菓子づくりも忘れません。小豆は餡にした時の粘り具合と舌ざわり、香り、味にこだわった素材選びを続け、卵は国産の指定農家から毎日取り寄せるなど、素材へのこだわりは代々受け継がれています。「さらに後世に残せるような和菓子を作りたい」と語る4代目。今後も、進化を続ける老舗の和菓子づくりから目が離せません。
この記事の内容は2025年09月02日(公開時)の情報です