華やぎの街・銀座には、贈る心を映す和菓子文化が息づき、伝統を受け継ぐ老舗の名店が軒を連ねています。文化人に愛された銘菓や季節を映す華やかな菓子、気軽に楽しめる最中やどら焼きまで揃い、手土産や旅の思い出にふさわしい逸品と出会えます。銀座の和菓子には、どれも“銀座ならではの粋”が宿っているのです。
明治、大正、昭和――銀座の街を歩けば、いくつもの時代を超えてきた老舗の和菓子店が通りのあちこちに静かに佇んでいます。変化を続けるこの街で、なぜ昔ながらの和菓子店が今も人々に親しまれているのか。その答えは、銀座という街の歩みにありました。
今もなお、行列が絶えない最中の名店『空也』。
江戸時代に銀貨の鋳造所が置かれたことから、商業の街として発展した銀座。やがて政財界人が集う銀座には料亭文化が根付き、粋を好む人々の華やかな社交の場になりました。その中で、和菓子は格式ある手土産として重宝されるようになったのです。
明治以降には、百貨店やカフェが進出したことで西洋と日本の文化が交差するモダンな街へと進化。巷では、銀座の街歩きを楽しむ「銀ぶら」という言葉も一大ブームになりました。文化人や芸術家が新たなインスピレーションを求めて銀座に集うようになり、手土産の文化がより盛んになりました。
歌舞伎座のそばで歌舞伎煎餅を売り始めたことから幕を開けた『銀座 菊廼舎 銀座本店』。
もうひとつ見逃せないのが、1889年(明治22年)に誕生した歌舞伎座の存在です。日本の伝統芸能である歌舞伎の舞台として親しまれてきたこの劇場では、役者の楽屋への差し入れとして、観客が幕間に味わう甘味として、和菓子がさまざまな場面で活躍してきました。こうして銀座の和菓子は、時代の流れに寄り添いながら人と人とをつなぐ役割を果たしてきたのです。
銀座で長く愛されている和菓子店には、それぞれの伝統のかたちがあります、伝統の味を守り続ける店のひとつが、1884年(明治17年)創業の『空也』です。
明治時代からレシピが受け継がれ、変わらぬ味を守る「空也最中」。「吾輩は猫である」などの作品で知られる文豪・夏目漱石をはじめ、数々の文化人に親しまれてきた歴史もあります。保存料や添加物を加えず素材の風味を活かして作られた最中は、香ばしく焦がした皮に、自家製の餡がたっぷり。上品な餡の甘さと手ごろなサイズ感で、誰でも親しみやすい味わいに仕上げられているのが、時代を超えて愛され続ける理由なのでしょう。
もうひとつ、伝統を守りつつどら焼き1本で勝負している『木挽町よしや』。歌舞伎座のすぐそばという立地にあることから、1922年(大正11年)の創業以来、名物のどら焼きは歌舞伎役者や芸能関係者への差し入れとして親しまれてきました。
『木挽町よしや』のどら焼きは、手ごねで仕上げた皮はもちもちとした食感が味わい深く、北海道十勝産の小豆を使った甘さ控えめの餡とマッチしています。なんといっても特徴的なのは、1枚の皮を二つ折りにして餡を包み込んだ半月型のフォルム。一般的などら焼きよりもコンパクトに作られているのは、歌舞伎役者に差し入れとして渡される際、役者が化粧をしていても食べやすかったからだといわれています。丁寧な個包装も、配る人の気持ちに寄り添った工夫です。
一方で、伝統を守りながらも新しいことに挑戦する店があります。銀座7丁目にある『清月堂本店』は、代ごとに新たな和菓子を作る「一代一菓」という心得のもと、時代に寄り添う和菓子を生み出してきました。
現店主の4代目が考案した「あいさつ最中」は、和菓子を食べることへのハードルが高まっている現代において、見た目やテーマの“わかりやすさ”に注目して生まれた新しい和菓子です。一目で贈る人の気持ちが伝わるシンプルなネーミングと、ハートの中で手と手をつなぐデザインは革新的。和菓子になじみがない人でも、挨拶を交わす場面で気軽に贈れます。
昔ながらの味を守り続ける店、時代に合わせて新しい和菓子を生み出す店。どの店も、自らのスタイルを貫きながら伝統を受け継いでいる。銀座の老舗和菓子店には、それぞれの「伝統のかたち」が今も息づいているのです。
押しつけがましさのない、さりげない“粋”を感じられるのも銀座の和菓子店ならでは。1890年(明治23年)創業の『銀座 菊廼舎 銀座本店』は、店に一歩入ると、格式の高さを感じさせない親しみやすい接客で、訪れる人を温かく出迎えてくれます。和菓子を選んだあとは、店内のカウンター席に腰かけながらゆったりと購入の手続きができたり、風呂敷を希望すれば目の前で丁寧に和菓子を包んでくれたりと、随所に銀座らしい品格と人情が漂います。
ショッピングの合間には、店内の小窓から職人が和菓子を作る様子を眺めることも。目の前で、繊細な手仕事によって美しい和菓子が形づくられていく光景は、ただただ職人技に圧倒されることでしょう。和菓子を買うだけではなく、和菓子文化そのものに触れられるのも銀座流のおもてなしです。
銀座らしい粋を感じられる店は、他にも。1617年(元和3年)に京都三条で創業し、明治維新の東京遷都とともに東京へ移転した『萬年堂本店』は、「和菓子をできるだけ作りたてに近い状態で食べてほしい」という現店主・13代目の想いから、2022年に喫茶併設の店舗へとリニューアルしました。
喫茶スペースでは、竹がふんだんにあしらわれた心安らぐ空間のなかで、和菓子や抹茶をじっくりと味わうことができます。和菓子とともに、日本のお茶文化も体験できるのは、まさに粋な演出。和菓子だけではなく、空間の風情までも味わい尽くしてみてください。
日本の茶道文化とともに発展してきた和菓子には、その一つひとつに季節の移ろいや物語性が込められています。なかでも、古くから手土産の文化が根付く銀座では、贈る相手の幸せを願う“縁起の良い和菓子”に出会うことができます。その代表的な一品が、『銀座 菊廼舎 銀座本店』の銘菓「冨貴寄(ふきよせ)」です。
縁起の良い宝物を集めた吉祥文様「宝づくし」が描かれた缶の中には、色とりどりの江戸和菓子がぎっしり。小さなお菓子をたくさん詰め込んだ和菓子を「吹きよせ」と呼ぶことにかけて、「幸せをもたらすお菓子」という願いを込めて縁起の良い「冨貴寄」という字があてられたのだとか。富士山や四季をモチーフに、日本の福が詰め込まれた和菓子は「ハレの日」の贈り物にふさわしい一品です。
そしてもうひとつ、100年以上にわたり祝儀や引き出物として親しまれてきた銘菓が『萬年堂本店』の「御目出糖(おめでとう)」です。
元禄時代から店に伝わる「高麗餅仕様書」によって製造されていた高麗餅(こうらいもち)というお菓子が、お祝い事で食べられる赤飯のような見た目をしていたことから、明治中頃に「御目出糖」と名付けられました。
小豆餡に餅粉、米粉などを混ぜてそぼろ状にし、大納言小豆の蜜漬けを散らして蒸し上げた御目出糖は、もちもちとした独特の食感が唯一無二。特別な日にはもちろんのこと、日常のちょっとした“おめでとう”の気持ちにも寄り添ってくれます。
美しい名前や姿、包み紙にまで“贈る心”が込められた銀座の和菓子。大切な人を思い浮かべながら選ぶひとときは、この街だからこそ味わえる贅沢です。その特別な体験を、ぜひ銀座で楽しんでみてください。











